いつかは辞めてしまうものなのか、それとも変化すべきなのか。
このブログに毎日何かを書こうと思ったのは、自分との対話を通して認知をすること。
それによって必要なこと、変化すべきことを見つけ自分のアップデートに繋げて行動を改善させていくことだった。
200日近く書いてると言うことは200本近い何かと対話を繰り返してきて自分に大きな認知ができたとともに変化をすることができた。
行動は実感からというのが僕の対話の結果だが、それが実感できている。
さて、200個に及ぶ課題に向き合って対話を重ねた結果大きなアップデートをすることができたが、目的は達成されてるのでこのブログを書くことをやめても良いな、と思った。
やめる意味は特にないのだけど、対話をすることがないのだから辞めたとしても問題ない。
やめることに意味はあるのだろうか。今日は記事を書き続けるかどうかについて対話していきたいと思う。
そもそも書いたきっかけ
頭の中では分かった気になっていることは多い。実際言語化しようとするとほぼできない。
演奏ならそれで問題ないかもしれないが、自分でやりたいことがあり変化をしたいと思っている場合は認知の変化が必要になる。
理想はこうだけど、実際に全然できない。その場合は、理想自体をさておき、そこにいくための実際の行動を積み重ねる必要がある。
それが例え感覚的に嫌なことでも。
このままでは変わらないまま、理想ばかりいう人になってしまう。僕は行動につなげたい。
そのために頭の中の本当は理想はあるけど、そこにいくためにはそうじゃないことをしっかりやらなければいけない、と言うことを認知すべきと思った。
認識してそれを改善する
まず今現在している自分の認知を変えないといけない。大体良い風に認知しているのでそれをだめだ、と認識することから。
自分のダメな部分を見つけることは容易い。性格にもよるが僕はここがだめだと思いやすい人もある。僕は割とそうだ。しかしここからが難しい。
それを改善につなげる。
何かをやった気になるのが一番いけない。やってる感によって時間をどれだけ無駄にしてきたかわからない。どこかでこれを認知しなければいけなかった。
そして認知したからには改善をしなければいけない。病気の悪い部分を見つけて、発見しました、今日の検査は収穫ありです、ではいけない。
自分の担当医は自分しかいない。責任を持って治す。改善という治療で。
困ったことに直さなくても何にもならない。今世の中はコロナで大変とはいえ、すぐに死ぬことはない。
だから自分がそれをやりたいか、そうであるか、というのは大きい。
現状に満足してこのまま人生を終える、ということを何度考えたかわからないが、それでもチャレンジしたい、やっぱりそう思った。
あえてそっちを選ぶところがなんとも自分らしい。
だからそのために対話を続けた。大きな収穫ありだった。
変化したこと
もともと和風ジャズピアニストとしてのチャンネルにしていたが、方向性をうまく作れずにいた。海外からファンですとコメントなどもあったが、うまく突破口を作れずにいた。
和風ジャズピアニストをうまく伝えるにはアーティストだから世界観が必要だ。そのためには全てその世界観で作り上げる必要がある。
しかしそれを作るための世界観の構築がうまくいってない。
すくなくとも自分では思っていた形でやってはいたがそれが全然伝わらずにいる。それもそのはずそのように客観的にみてもわからない。
でも自分ではこのままでうまくいくことが理想と思っていた。しかしこれは自分の理想をカッコよく思っていて本当はやらなければいけないことを気づかないフリをしている。
困ったことに簡単に構築はうまくいかない。加えてあれもやりたいこれもやりたいとなっている。そのとっちらかりをなんとかしなければいかないのが課題だった。
構築に苦戦する中何もできないのはまずいので、そこでまず和風ジャズをジャズ活動の一コンテンツとして整理することを考えていた。が、行動できずにいた。
しかしキャッチコピーを考えたり自分の活動するメッセージみたいなものを対話する中で気づいていき、チャンネルやSNSを変化させていった。
Twitterは和風ジャズピアニストという名前だったが毎日ジャズピアニストに変更。毎日ジャズライブをYoutubeでしているのでこれも良いと思った。
そして今まで和風をイメージしたダルマとピアノのカバーをこちらに変更。
まだメイン動画は変更していないが、この辺りを和風ジャズも含めてうまく形していこうと考えている。
和風ジャズを一つのコンテンツにして毎日ジャズピアニストで発信していくように切り替えた。
この辺りの変化には大きな毎日の対話からの認知・気付きと行動の中での実感があわさり改善につながった。
もちろん和風ジャズは今後も投稿していく予定だ。
そしてこの変化の行動を起こせるのが自分の中で大きな大きな変化だった。
戦略的に芸術家にはなれるものなのだろうか。アートがこれから広がる中での僕の課題でもある自分の中でのひそかなテーマだ。
今日の配信
役目終えたものは終わりにするのか
そして役目を終えたものはやめて次のことに時間を使おうかとも思っているが、音楽だからか文字で表現するタイミングがあまりないことを考えると、変化させた形で続ける方が良いのかもしれない。
よく美術館に出かけてはその時に感じたことを言語化したりしている、感性を磨くというのは雲を掴むような話だけど、言語化して認知する、それによって感性を把握する、そんなことをしている。
それによってその表現をする時にはアウトプットに使いやすくなる。
日常のはと思った感じたことを言語化していくのも良いのかもしれない。
自分は毎日の繰り返しでできていることを考えると自分の作り出すアートはきっと毎日の感じたことにある。
勉強してえたもの、見たもの、触れたもの、感じたもの、その全てを言語で表現するのは良いかもしれない。
自分というものを文章で見た時にどのような形でまた認知できるだろうか。
それによってまた新しい変化が訪れるかもしれない。
そうか、きっとそれにワクワクしているからさっぱりやめれば良いものをどこか先延ばしでいるのかもしれない。
そんな不思議なワクワク感がある。
どんな文章を作るのか、そのためにどんなことを学習するのか、興味を持つのか、その行動の全てが自分のアートにつながるような気がしている。
きっと自分にとって、アートにとってそもそも文章は大事なものなのかもしれない。
たまたまそれが絵になったり音になったりしているだけなのかもしれない。
とにおりそんなもの感じてはふっと言葉で「こんなことを言っているのかな」と声が聞こえたりする。
そんな声を自分からも出せるようになりたいのかもしれない。
また対話を続けながら日常的なふとした感覚をシェアしていこうと思う。
ワクワクしている限りは。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓
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毎日ジャズピアニストかねこ