かねこせんせーのジャズ日記。

ただジャズが好きなだけなかねこの自分との対話を書き記した日記。

「点」で捉えるか「線」で捉えるか

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珍しくポイントが溜まっていたのでスピーカースタンドを買いました。今までは発泡スチロールを置いていたのですが、硬い方が、振動を抑えるので音が良くなるとのこと。

結果、何度か比べてみるとほんのちょっと変わったかな、という感じです。それも少し自信がないです。笑。でも音が少しだけスッキリしたような…

それでこの比べる、という作業。これも一つの線で捉えることかもなぁ、と発泡スチロールしか知らなかった僕は点で捉えていたのかもと思いました。

最近、歴史を文脈で捉えるために勉強したりと線で捉えることは自分の中でとてもホットな案件です。

今日は点と線について対話していきたいと思います。

線で捉える。
スティーブ・ジョブスの言葉のコネクティング・ドットは有名です。点で捉えたものがつながる、それが新しいものを生み出す、そんな解釈をしてます。

いきなり線で捉える必要はないのかもしれません。クリエイターなら昔のものをそのまま出すより、今という感性をそこに入れたものが大事です。

そう言った意味ではその時の感性で点でさまざまなものを捉える方が良いのかもしれません。

ところが、どうやら僕は新しいものに疎いのでついつい古いものを求めがちです。

ジャズなんてただでさえ古くジャズが比較的好きな人が多い年配の方が好きなジャズは50〜60年代のジャズ。

僕は割ともっと古い1900年前後のプロトタイプなジャズから1920年代前くらいのジャズは割と大好物です。

キャッチコピーはただジャズが好きなだけ、毎日ジャズピアニストかねこなので、古いもの好きです。

といってもサブウーファーを入れてから最近よく聴いてるのはエレクトロスウィングやNu Disc、 フューチャーエレクトロ系ばかりですが、それを聞こうと思ったのは線で捉え始めたからでした。

線で捉えると価値観が変化する
これは以前に書いたこともあるのですが、文脈を知るとそのものの印象が変わります。目の前にジャストサイズにビシッとスーツで決めた人いるとします。

印象は良いですが、人からお金を騙し取った過去がある、ということを知ると印象が変わります。

そこにさらに騙し取ったのは、騙し取られた弱者のために自らが行動して敵から取り返した、と知るとさらに印象がかわります。

そこにそこに、しかしそもそもその弱者のお金は元々は敵のものだった、と知ると印象どころか考え方、捉え方が変わってきます。

国の歴史を調べていたりするとこんなことよくあります。しかももっと複雑です。中東問題なんかシンプルに語れる人がいたら知りたいです。

点で捉えると全体像が見えないものでも線で捉えることにより、全体像がみえる。厳密にはような気がする、のですが、これらをどこかの点で見ると全く違った捉え方になってしまいます。

ニュースのタイトルだけで判断するように、スーツでビシッと決めてれば良い人、人を騙したことがあるとわかれば、やっぱり悪い人、弱者とかかれれば相手が悪い、と思ったり。

これらを点で捉えることは良いこととは思えないのです。自分にとって都合の良い情報だけを捉えてしまう、このような形では何も生まれない。

完璧なわけはないからこそ、自分の解釈はキャッチアップした情報なので自分なりの見解を述べて意見交換することで、相手のキャッチアップした新しい情報などが入り自身の見解がアップデートされる、建設的なものになる、と思っていますし、いつもそうしてます。

点で話すから自分の思った通りの結果を求めてしまう、これは全体像が必要な物事にとっては線で捉えた方が良い結果を作るのではないか、と思っています。

歴史や思想なんかは特に線で捉える必要性を感じます。

そして線で捉えることで捉え方がある段階で変わり、それは価値観のアップデート、につながると思っています。

以前にも書きましたが、奴隷といえば黒人奴隷をイメージしがちですが、紀元前のエジプト時代から白人の奴隷はいました。

奴隷はスレーブと呼んだらしますが、ヨーロッパにいた白人の部族、スラブ族が語源なんて見解もあります。

そんなことを知るだけで奴隷=黒人ではないのだな、とわかります。

そして、その奴隷は知的労働も担当していたりした記録も残っていたようです。必ずしも肉体労働のみの雇い方ではなかったようです。

しかも解放奴隷という制度も時代によっては存在し、奴隷に一定の市民権を認めるということもあり、それを雇用主が積極的に解放奴隷を作る方が良いようなインセンティブも用意されていました。

また奴隷がアメリカ大陸に渡るのは17世紀初頭が最初と言われていますが、その黒人奴隷を白人に渡していたのは、アフリカの黒人部族だったこともあります。

部族争いがあり、勝った部族は負けた部族を売り、その代わりに武器を買っていました。黒人が黒人を売っていたのです。

そういった事実を文脈で知ると、黒人奴隷かわいそう、白人にひどい、という短絡的なことにはならいと思います。

どちらかが良い、悪いの判断がつかなくなってくる段階に来ます。先程の元々は敵のお金だったという話の段階ですね。

ここまで来るとそもそも何がいけないのか、というと、他人が他人の人権を奪うのはそもそもいけない、ということに気づきます。

誰が悪いとかではなく、こう言った事実に気づくことができます。これは点で捉えていたら単純なイメージで終始していたものが価値観変わってくると思います。

全体像が必要な歴史などは線で捉えることが大事も思っています。

点で捉える大事さ
点で捉えるのは、新しいものを生み出すときはとても大事なのでは、と捉えてます。

いたからなんでもかんでも勉強するのは良いとは一概には言えないと思います。そんなに人類の積み上げたものをキャッチアップするのは簡単ではないからです。

線で捉えると世の中に出てきたものは常に新しい何かがそこに含まれています。それはその時代の感性により付加されたもの、そう解釈しています。

馬が車に変わった20世紀初頭、10世紀なら車だ、他ならなかったと思います。蒸気機関が開発され、内燃機関として進化してそれらを車に使ってみる、という形になっていく。

大砲を運ぶためにだけ使おうとはならなかったはずです。

その時の最先端なものをその時代に必要なものにシンプルに発想できる、そう言ったものは線で捉えたことより点で捉えたものが線でくっついた瞬間にできると思っています。

点は新しいことを生み出す種みたいなもの。常に何かを捉えていたい、そんな素敵なものです。

とは言え、漠然となんでも、というのはあまり意味がないと思います。自分が好きなものをシンプルに捉えていけば自然と新しいものがつながる、そんな気がしています。

イカが大好きな絵も好きな人がイカの絵だけをイカ墨で描いている、というのはものすごい面白いなぁと思います。

そんな発想は線で捉えたところからでてくるものより、もともとある点にその時代の感性が付加されたようなもの、そんなものなんだろうなぁと思います。

点と線は意識しながら
点はクリエイティブになるために好きなものをひたすら捉える。ほかの関連は一切考えない。

線は全体像を見た方が良いもの。歴史や社会問題もそうかもしれません。

歴史や社会問題は自分が欲しい結果を求めるものではないと思ってます。だから全体像を捉える線が大事、そう考えてます。

点は自分の欲しいものをひたすら集めるもの。それにより自分にしかできない、新しい何かができる、僕はそう思ってます。

さて、僕から何か新しいものはできるのだろうか、いや、作っているつもりだ。和風ジャズは世界で僕しかできない発想だと思っている。

さてさて、では点が足りないのか線が足りないのか…それともただ行動と思い切りが足りないのか…

それともそれとも…

「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓

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毎日ジャズピアニストかねこ