メモ。(1)現在進行形で感じる。(2)過去のことを推測で言語化しない。(3)自分を騙すことになるから
Go to Eat。ランチは実質500円割引、早速使ってみようと対応の店を調べるが思ったり対応店舗が少ない。そのほとんどない選択肢から予約をした。
選択肢の少なさに落胆しながら行ったのだが、そのお店で一口食べると思いの外おいしく、その味を味わいながら思った。
現在進行形、これが大事だと。何が美味しいか、何が良かったか、それらを現在進行形で感じとれているか。、認知できているか。
それらができていることが自身の大きな指標の元になる。そのプロセスを捉えているから、ものさしを自分で持てるのかもしれない。
そういえば学びの怖さがなくなったのもここ数ヶ月だ。今日はこのことについて自分と対話をしたいと思う。
勉強の仕方を知らなかった
小学生からか、勉強というものをまともにしたことがない。受験勉強もしたこともない。厳密にいえばできない。勉強の仕方がわからない。
だから勉強をすることはしてこなかった。決して良いことではない。僕は学校の授業は勉強の仕方を学ぶためにあったんじゃないかと本気で考えたときもあった。(今も間違ってるような気はしない。)
それでこのどうやって学ぶかわからないことはかなり危険だと気付いたのはここ数年だ。
では今できることはどうやってできたかというと勝手にハマったものや気付けばできていた。ギターもそうだし、言うなればピアノもそうだ。
でもそれらは再現性を持たない。なぜできるようになったのかはわからない。だから適当になんだか触れば難度が上達する、くらい。
もちろん推測で話すことはできる。人にピアノを教えるように、自身が過去を振り返り、言語化することは可能だ。しかしその通りに自身が行動するかと言えば答えはNoだ。
なぜならそれは過去を振り返ってただ考察しているだけで全く当たってない可能性の方が高いからだ。そもそもそんなプロセスで僕は上手くなっていないことは肌感覚で知っているのだろう。
だから、人にはそれっぽく話すテクニックはあるが、自分では決してやらなかった。というより、正確にはやり方がわからなかった。数年前までは。しかし特にここ数ヶ月は目まぐるしく進歩した。
それは現在進行形で感じ取ることの重要性に気づいたからだ。
現在進行形で感じる大事さ
自分が今やっていることから感じる体の変化や感覚の変化、感情の変化、実際の作業量などをしっかりと捉えることで自身の学習力がおおよそわかるようになってくる。
こんな捉え方をしたことはなかった。しかし、そういった変化を現在進行形で感じ取ること、昔は嫌だったことが嫌ではなくなる。
当たり前だから腹筋をつけるには腹筋をするしかない。筋トレで学んだこの当たり前の事実は何にでも当てはまる。
例えば、できない部分を繰り返して練習するときに必ず自分が嫌になるような感情が訪れる。そいつはすぐに自分ができると勘違いしてる経験値の低い過去の自分からやってくる。
繰り返しやらないとできないことはわかっている。他人が10回でできようが僕は100回やらないとできないとかは関係ない。僕が100回でできるなら100回やるしかないのだ。なぜなら僕はそいつではない。よかった。僕は僕だった。
そのやってくる感情に乗っかるとその100回の作業半ばで手を止めることになる。しかもこんな言い訳をつけて「僕は人より全然できないからだめだ」。
成長を他人と比べるのに意味はない。自分のペースの成長があるのみだ。ゆっくりする人もいればしない人もいる。恐ろしいペースで凌駕する人もいる。足並みを揃えないのは自分だからだ。
自分のペースがあるのみ、できるのは他人と同じにすることではなく、自分のペースを早めるか遅くするか、それだけだ。
僕はできないことがあればミスをすることが分かっている。だからそのミスを受け入れて繰り返してそれを修正する。その修正は細かい体のきつい動きだったり、意識をすることだったり。
以前はそれに苛立ったこともあったが、もうそんなことに苛立つ方とはなくなった。むしろできないところを見つけてそれを直そうとさらに思う。ラッキーだ。
また一つでないところを直すことができる。見つけてくれてありがとう僕。
僕はこうやって自分がその作業をやっているときの感情や状態の変化を細かくに観察して現在進行形で感じることで、自分がおおよそどんな状態にいるかを冷静に捉えることができようになった。
「これは時間がかかりそうだな」「しっかりメモをしたり書いたりしたほうが早く解決できそうだ」そんなこともわかるようになってきた。
このような感情変化は今はシェアする方法がなかなかない。実感していない人に教えることは難しい。でもこれらが全ての自分の学びの仕方を教えてくれる。
なのでこのように感じてもらえるようにサポートをするのが今後大事な教師の役割ではないかと思っている。
過去を推測して言語化しない
こういったことが大事な中で最もいけないと感じていることが過去のことを推測して言語化することだ。
感じていないことを推測で言語化することはほとんど無意味に近い。最も人に話せばそれの答えになる人もいるかもしれないが、それは学びのやり方を奪うことにもなる。
それに自分が実行しない様なやり方を人にお勧めするのは信頼が価値を生む世の中で最もやってはいけないことのようにも思う。
もう一つ以外の結果はそんな推測で捉えられるくらいのことではないこともある。例えばSNSでバズった要因を分析して再びバズらせるのは相当難しい。
その自分が推測した分析は間違っていたことになる。そのようなことが充分起こる。なので過去を推測して言語化するのは僕の中ではかなり疑わしい事案になっている。
自分を騙すことなる
最も嫌だと感じることはそれは自分を騙していることにもなるからだ。自分で実行しない、ということはその効果を実感していないから。
実感しているなら絶対実行する。推測で言語化するからそれを実行ないのだ。実感をしていないから。
それにもかかわらず言語化してはあたかもそれで自分が成長したかのように語るのはもうやめにする。というかもうやめている。自分を騙すのは最も罪だ。人は騙されないこともある。自分を騙すとそのまま騙される。気をつけねば。
現在進行形での感じ方は今につながる
現在進行形で感じていることを認知して再現性を持たせると冷静に自分をみれてそのまま毎回自分の状態を観察できる。常に今と向き合える。
僕は今はやめることのデメリット方が大きいような気がしている。
だらっと何もしていないことのメリットよりやっていることをやめるデメリットが大きいと感じている。体を壊すようなことをしてるわけではないならデメリットない。
このまままっすぐ進む。これだけあれこれ自分に言い聞かせてもなお、成長しないこともある。その時もしっかりと現在進行形で捉えていこうと思う。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓
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