「濃い時間」とは、集中してそれしか考えれない時間かな。
明日の朝ごはんのメニューを間違えて食材切れになっているかねこです。今日間違えて多めに食べてしまいました・・。
さてさて、昨日の記事で濃い時間、薄い時間の使い方について自分で対話していたものをもうちょっと、深ぼってみたいなと思ったので今日は「濃い・薄い時間の使い方」とはなんだろうってことに対話していこうと思います。
濃い時間ってなんだろう。
昨日の結論は時間を重ねて細かに使うのが濃い時間では、と思った。
例えばただの事務作業をしているときは耳で読み上げ機能などで情報を入れる。作業時間を隙間時間、スマホなどでどんな場所でもやれるようにする、など。
そのほかはデッドタイムをなくしていく。例えば動画の書き出しをしている時に、スマホでゲームをしているのはもったいないのでその時にまた別の作業に当てれるように、順番を最適化してりもする。
データをアップロードする時間がそれぞれ違うのでちょっと時間がかかるものは、デスクを離れてできることをする直前にする、など、常に何か二つ以上のことを同時並行にやれるようにする、というのが濃い時間。
しかし一方で、何かの深く思考に入って考える時もある。アートの表現をする時によくある。意外とサクッとやったりすることも深い思考にはいることもある。
これは何も重ねてないので薄い時間なのだろうか。
確かに深い思考に入りその物事の本質を掴んだり、その表現の意味を考えたりするときの深い思考はむしろ濃い時間といえる。
これは意外と集中力を使う。
いつもふとした瞬間や刺激から急に思考が周りだし深い思考に入る時が僕がある。そのときは他のことを一切シャットダウンとしてそのことだけを考える。
これはこの状態に入らないと考えることができないので濃い時間と言えるような気がする。
それを考えると、最初の時間の使い方は濃い、というより効率的にうまく時間を使っているだけで濃さとはあまり関係ないような気がする。
むしろ通常できることを効率を上げただけなので、どこをゼロにするかで濃い薄いの表現になるだけなような気がする。
なので集中力をさほどつかわないものは全て濃い時間の使い方ではない、という結論にしようと思う。
ここでふと思う、慣れない作業をしているときの集中力は濃いのだろうか。これもおそらく濃いのだと思う。
集中をしていて、それしか考えることができない時間というのはやはり濃い時間といえる。
それを考えれば好きな人ができて夢中なあの瞬間、あれは濃い時間なのだろうなと思う。
好きなことができてご飯を食べるのもわすれて1日が終わってしまう、あの感覚はあれは濃い時間なのだと思う。
あの濃い時間が今の時間を作っているといっても過言ではない気がする。学生時代、ピアノの練習を本当に1日8時間していた。
音大生なら全然それくらい練習している人はいる。してない人もいるけど。
そして濃い時間はいつだって濃い時間でいてくれない。慣れるからだ。
その集中していることで自分は成長したり変化したりアップデートしている。
そしてその濃い時間からそれは自分にとってそこまで集中しなくてもよいことに変化していく。
大事なのはこの最初は濃い時間だったものがだんだん薄くなっていっていることに気づくことのような気がしている。
最初濃い時間だっただからといって、自分を誤魔化してこれは必要なんだと寝っ転がってスマホゲームをやりながらスナック菓子を食べていては大変だ。
本当ならプロのゲーム選手ならスマホゲームだけに集中しているような気がする。
だんだん自分のなかでまとまってきた。
集中をしていて、それしか考えることができない時間。これが濃い時間。そしてそれより大事なのは濃い時間は自分の変化・アップデートに伴って薄くなると言うこと。
そのときまた濃い時間の霧へと踏み出していく。これが最も大事なことなのではないか。
そんなことを思いながら今日も水で薄められたコーヒーを飲んだりしている。これが結構飲みやすいんだ。
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