かねこせんせーのジャズ日記。

ただジャズが好きなだけなかねこの自分との対話を書き記した日記。

自動化はされる。生産性は上がる。だから僕はアートをやる

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今日は群馬に来てみてます。今年初めての県外。一度来てみたかった富岡製糸場。だるまとピアノをもって群馬のどこかでピアノを弾く。それをVlogのように動画に。今回で19県目。そんな旅にきました。

その中で自動化の様子がとても印象的に残っています。今日はこの技術の自動化について自分と向き合って対話をしていきたいと思います。


自動化により人が減っていた

建物の和洋折衷も美しかったのですが、それより印象的だったのは、工場の機械のアップデートによる人数の減少。工場は1872年から始まり、1966年に3回目の機械アップデートをしている。

最初の1896年のアップデート時は縦に規則正しく一列にぎゅうぎゅうで何十人、もしや何百人と機械の前に並んでいたのですが、1966年のアップデートの時は一列に数人なのでは?と思われるくらい、左右に人の影すらないような自動化が進んでいました。

イーロンマスクのロケットの打ち上げが最近ありましたが、あれでも同じ場面をみかけました。スペースシャトルの打ち上げの時は四角いパソコンの数だけ管制室に人がいたのが、イーロンマスクの時はディスプレイが薄く広くなっており、人が半分か三分の一くらいになっていました。

 

技術は自動化される


富岡製紙場を見たことでイーロンマスクの時の場面を思い出して共通点を見てハっとしました。世の中はどんどん自動化される。それによって生産性は増える、間違いない。

実際富岡製紙場はフランスから教えてもらって製糸の技術が伸びまくって世界一のクオリティを実現してしまいました。ということはやはり、これは止められない出来事なのだと思いました。

技術はいつか自動化される、この事実に「職人の世界は・・」「教えるということは人が伝えることが・・」「本当に大切なことは・・」などなど思うことは色々あると思います、しかしやはり自動化はされてしまう気がします。。

 

教える技術も自動化されるかも


私は必ず自動化される、そういう認識でいます。ピアノのレッスンすらも必ず自動化されると思います。将棋のAIなどがよく話題に上がりますが、あれは相手を読んで将棋を指しているというよりは、一手を一枚の画像にとらえどんな順番の時にどうなるか、というのを条件にあった中での最適な手をだしています。

そうなるとピアノのレッスンもAIの画像認識により、その人の演奏レベルを確認し、弱点を伸ばすその人専用の練習曲をその場で出し、あとは進捗管理さえうまくいけばそのAIの通りに行えば、最短でうまくなることは考えれます。

画像認識の仕方は推測ですが、プロのピアニストの画像を真上や真横から撮影し、腕の動かした幅や、指の跨ぎ、それらを時間軸の中でたくさん速く行われていればこの人は上手い、と画像で判断する。

指の跨ぎが行われていない、レベルが低い、そのための練習曲をその人専用で作る、という形でいけば、音の感情性を置いておけば技術だけは効率的に先生が教えるより、よい課題が提出され、ピアノをうまくなりたい人は一人でその目的に到達できる、そんなことも考えれます。

まだこんな話は聞いたことはありませんし、そもそもそんな需要があるように思えないですが。。ピアノを弾きたくて、曲を作りたくて、など目的がしっかりあり最短で習得したい場合は可能性としてはできるのでは、という認識です。

 

答えのないことを作る


プログラミングを小さい頃から学ぶことが勧められてますが、この子供たちが大きくなるころにプログラムの自動化も大きく進んでいると考えれます。そうなるとプログラムを書くことより、それで世の中にどんなものを作ったら面白いか、というアイディアを思いつくことが何より大事な気もしています。

私はプログラミングの学習のブートキャンプに参加したことがありますが、そこで出会った人たちの多くは漠然とプログラムは必要だと思っている、しかし自分は何を作りたいかわからない、という人たちが多くを占めていました。

ブログラムは答えがあるからわかりやすいです。だから何をやれば良いかわかる。しかし答えがない時代をこれから迎えるにあたり、大事なのは答えがあることをやることではないと思っています。(もちろんプログラマーは絶対必要です・・)

プログラムに関しては、僕はブログラムを学ぶことが大事だと思っていません。僕は、答えがないことを考え、それをプログラムで作れることが何より大事だと思っています。

 

何が良いのかの捉え方をアップデートする


技術を学んでいるようで楽しんでいるのはコミュケーション、そういったことを楽器を学んでいる人から聞いたことがあります。何年も通って全然うまくならないけど何年も通う、それはなぜかと言えばその相手とコミュケーションをとるのが楽しいから。

技術を習ってる、と思えば、この例は講師の教え方が悪いか、生徒が課題をやってこないのが悪いか、どちらかに原因がありそうです。しかしそんな目的で人は何年も通いません。

なぜ通う、それをこれからしっかりと相手から受け取り実践するためには漠然と捉えるのではなく、はっきりと「面白いから」と捉え直す必要があるような気がしてます。

ちなみに僕はいつも自分が面白く受け取ってもらえるように気をつけるようにしています。(空回りもしますが・・・)

面白く感じてもらえない場合は、かねこの価値はありません。技術はいつか自動化されるなら、この人はなんだか面白い、そう思ってもらえるようなことをしていかないといけないような気がしています。

 

漠然としたものが言語化され価値観を変化させる


さらに今は「面白いこと」「わくわく」「楽しい」「好き」この辺りも細かく分析されていくのだろうなぁと思っています。

数年まえに日本人には一言でイメージとして捉えれる「いきがい」という言葉が海外で分析され複合概念として言語化されたのは記憶に新しいことです。(非常に面白いので興味のある方はikigaiで検索してみてください)

今まで見逃してた感覚を細かく言語化されることで個々人に認識されていく、その後価値観が変化をしていくのだと思います。

 

アートの役割


そしてそれをやるのが、それをやれるのが実はアートの可能性、アートの役割なのでは、とも思っています。

スマートフォンのようなものも体験により一気に価値観を変えてしまいますが、別のプロセスで変えてしまうやり方がこのアートなのではないか、だから僕の活動や作品は、絶対自分が好きなことののみをやろうと決めています。それが僕の価値であるような気がしています。それがかねこである理由な気もします。

自分で楽しんでいれば良い、そんなことを自分で楽しみながら、なぜか人に広めるという矛盾に目を背けながら僕はまだ誰にも伝わっていない、かねこのアートを世の中に広げていきたいと思います。

 

「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓

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