かねこせんせーのジャズ日記。

ただジャズが好きなだけなかねこの自分との対話を書き記した日記。

21世紀のミュージシャンとは。

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食事の量が多すぎて食べるのに時間がかかるかねこです。量を調整すべく色々と改善中です。

さてさて、自分を客観的に見よう、とはよく言われますが、そもそもどうやってみるんだろう、って思っていました。

それが最近自分は、21世紀のミュージシャンの活動の仕方とはどんな可能性があるのだろう、ということを試しているんだな、ということが客観的に自分をみていて、思ってきました。

というわけで、今日は客観的に自分を見る、ということについて対話していきたいと思います。

今日のかねこのジャズカフェ配信。客観的にみて寒そうだった。。

主観的にみてばかりいると苦戦する

自分でこうなりたい、と思って情報発信したりすると当たり前だけど世の中に届かない。

強烈なアート性などがあるのならば別だけど、頭でこうなりたいと考えたようなものくらいでは一般の人たちには何のメリットもないので使う理由はなかったりする。

アーティストなら個性の極みみたいなものを発信することに意味はあるけど、それでもゼロからやるならその個性が一般の人にどうやって伝わるかを工夫する必要はある。

その場合は原液を薄めて伝わりやすいようにすることが一般的。

ジョンスペンサーブルースエクスプロージョンというバンドある。ベースレスというマニアックなバンドだけどオレンジというアルバムでヒットを飛ばした。

そのインタビューを読んだことがある。「なぜヒットしたからはわからない、普通に作っただけだ」と書いてあった。

きっとそれくらいの力の抜け具合が多くのリスナーに広がったんだろうなと思う。

そんな強い個性がある人なら別だけどそうではないならしっかりと世の中に何かわかるように発信する必要がある。

そのために自分がこうだ、より外からみてどうみえるかはとても重要。それで客観的に自分をみる、ということになるのだと思う。

とはいえ、客観的に自分をみたとしても、自分で主観的に考えたとしても、結局のところ、どっちも同じようになる。

客観的に自分が見ているからどうしても自分補正が大いに入る。

ので結局は見れないような気もする。

行動していると客観的になる

でも、最近客観的にみれたかも、と思うことがあった。

自分が何となくやりたいことを制限なく追い続けていると、もしかした僕はこっちの方向にいきたいのではないか、とある時急に思った。

今までは明確な答えがあるわけではなく、自分の好奇心にしたがってそれを突き詰めていたら、自分はこっちの方にいきたいのではないか、という答えが勝手にぼんやりと浮かび上がってきた。

自分で考えた、というより行動の末、そういうことを求めているのだろうな、と勝手に浮かび上がってきてそれを掬いあげたという感じ。

それが21世紀のミュージシャンの働き方の可能性を追い求めている、ということになるのだなぁと思う。

時々思う。もし歴史に残る、デュークエリントンがいたら、セロニアスモンクがいたら、チャーリーパーカーがいたら、彼らはこの2020年にどのような活動をしたのだろうか。

よくそんなことを考えるようになった。

ビング・クロスビーなんかは当時の録音テープなどに投資をしたりしてその場にいなくてもパフォーマンスができる、という利点を最大限生かそうとしていました。

いまでいえば非同期で行えば良い、という考え方を持っていたのだろうと思います。

一方で電気録音が出てきた時代でも生演奏にこだわる人もいたはずです。

その時代だから見つかった才能もあるような気がしていて、時代に応じてその先端のツールを使っているものがその時代時代で人気になっていることは歴史を振り返っても間違いなく、今ならまた見つからない才能も見つかるのだろうなと思います。

今は誰でも発信できる世の中で、完成された人ではなくても受け入れられるそんな状況は以前より強いと思います。

隣にいる人、というマーケティングはかなり昔からあり、ドリス・デイなどはそのような雰囲気をイメージをとして備えてました。

テレビは完成されたものを出すプラットフォームでそれだけにSNSが出始めたときは完成されてないプライベートの部分を出すことに二の足を踏んでいました。

しかしSNSが発達してプライベートをみることになれてきてから最近はTVで活躍する人がプライベートを出したりするのも多くなりました。

逆にYoutubeは隣にいる人のプラットフォームであるといえます。

ここにプライベートをみることになれた世の中が掛け合わさると、隣にいる人だけどどこか完成されているような人、というのがきっと今おもしろがる要因なのではないか、そんな過程がありませす。

この完成と隣にいる、のバランスを調整してうまくコンテンツ化できる人はもしかして21世紀のミュージシャンなのかもしれない、そんなことをおもっています。

この完成された、またはようなの意味は、スタイルなので、TVタレントみたいに必ずしもセレブで豪華、高い車である必要はないと思っています。

ある意味なにかストイックな生活をしていたり、一つのものに囲まれて生きていたり、一つのことに拘っていたり、そんなある意味完成しているようなものそんなものが面白がられるのかなと思っています。

それはもっと深ぼるなら、家や車、高価な時計、綺麗な奥さん、かっこいい旦那さんという完成されたものではなく、思想に当たる部分がその人なりに個性的に完成されているような感じになっているかは大事なのだろうと思っています。

そしてそれが自分が発信しているコンテンツに出ているかどうか、これではないか、思想のコンテンツ化がとても大事なのではないと思って最近は情報発信をしています。

ということはきっと21世紀のミュージシャンは隣にいる人で完成されてるように見える思想をコンテンツ化としてしっかりと発信できる人、なのかもしれません。

しかしそんなことを考えながら情報発信を頑張っても上手くいかないから世の中は面白い。

大事なのは仮定を作って自分で試すこと。

今日も思想をコンテンツ化させて情報発信していきたいと思います。

「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。見てるだけで音楽やジャズや文化が詳しくなる動画を投稿しています。
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